長距離を走る高速バスに、乗客が寛げるスペースは必要か

昭和の末期の頃、旧国鉄の列車の一部では、乗客に寛いで貰えるスペースということで、ロビーカーや車内の一部をミニロビーとする方向のものが出て来ました。それが、国鉄民営化後も続いていた時期もあったのですが、バブル期が終わり、且つ、国鉄型車両の取り替えが進んだことから、定期列車において、この様な設備を備える列車は少なくなりました。こういった動きは、高速バスを意識していたものとみても良いと思いますが、大量輸送とゆとりの追求が可能な鉄道車両だったということで可能だったと考えられます。それでは、高速バスはどうであったかについては、3列独立シート、オーディオ、ティーサーバー、公衆電話といったものが取り付けられたバスもあったのですが、こういった高速バスの魅力は、安価で利用出来るということが最初にくるということです。この様に色々な設備がある高速バスは、主に長距離を走る高速バスに多かったのですが、私が乗った高速バスの中に、大阪~松本間のバスは、車内の最後部にティーサーバーがあり、乗客が寛げるスペースが狭いながらもあり、そこには、他の座席と同型のリクライニングシートが1席ありました。昼行便ではありましたが、良く考えられていていいものだと思いました。他の地方でも高速バスに乗ったことは数多くありましたが、この様な設備は、他の地方の高速バスや夜行の高速バスに有っても良いと思いました。しかし、この様な設備は、車内の座席定員を少なくすることや直接収入増に繋がるかどうかという面でも難しいという考えもあるという意見も出て来ると思います。私は、長距離を走り、且つ、鉄道との対抗上色々な策が必要な区間を走る高速バスであれば、たとえ2階建てバスといった、客室の高さが抑制されているバスであったとしても、ミニロビー的なものを備えることにより、乗客へのサービス向上に繋がることを継続して欲しいと思います。

私はNEWシビックハイブリッドのセダンに乗りたいです。

私は現在ホンダのCRVに20年ほど乗っています。
その前はホンダのシビックに乗っていました。
以前のシビックは燃費がリッター10キロ程と、当時としては良い方で
かなりスポーツカーに近い走りが出来ました。
しかし、12万キロまで乗っていたのと、私が左足をスキーで負傷したため
当時マニュアル車だったシビックから、オートマのCRVに乗り換えました。
理由としてはオートマ車のため右足だけで運転出来るためと、
4WDで雪道に強く、大人数でスキーに行ける事がありました。
そして、地震等が起きた時、車中泊が出来
キャンプなども出来る事から購入しました。
それはほぼ20年前です。
そして、私は糖尿病になったりしまして
入院して車に乗れない時も多々ありましたが
よく走ってくれて、ほぼ20年間程特に壊れることなく車に乗ってこられました。
しかし、10年ほど前に父が他界して
家業である、自営業を父の遺言でたたみ貯金で細々と生活してきましたが、
この1年で家族が次々と病に倒れ、家の貯金はほぼ底を尽きました。
母は家計のため自分の車を売り、家計を節約して何とか生活しようとしていますが
家の金欠病は相変わらず厳しく、私も糖尿病などの病気を持ちながらも
働く事を余儀なくされています。
私は、パソコン関係の仕事について糖尿病に影響なく仕事をするつもりですが、
今年の車検で私のCRVが痛みが激しく、
何百万もの整備費がかかるとの事でした。
シャフトが傷んでいて、タイヤも新品に変えねばならず
4S(小回りが効くようにするもの)も新品に交換しなければなりません。
街乗りは出来ますが、車を整備しなければ、県外にはいかないでくれとの事でした。
それで、私は今年か来年から働いて、前乗っていたシビックの最新版の
NEWシビックハイブリッドに乗りたいです。
何故なら今、CRVはリッター6キロ程ですが、NEWシビックハイブリッドは
リッター20キロ、30キロ位走り、エコカー減税、重量税が安いとメリットだらけです。
しかも、シビックなので乗用車にしてはスポーツカーなみに走ります。
以前シビックは走りもきびきびしていました。
しかもFFなのでスキーに行けます。
CRVは父の形見の車ですが、お金には変えられません。
それで早く働いてお金を貯め、まだ未発表のシビックハイブリッドのセダンに期待を寄せています。

主人の車に落書きのような傷

彼氏だった主人とはいつも車での移動でした。主人は車が大好きで、デートと言っても主人の車を中心としたコースでした。新車を見に行こうとカーディーラーへ、またはモーターショーへ。車内を飾りたいと郊外まで行きオリジナルの商品を購入しに行ったり。社外品のホイルに付け替えたいと、往復四時間掛けて遠いお店へ出向いたりと私の行きたい所は一つも行ってはくれませんでした。それでも車を大事にする主人が好きだったので、長年付き合っていました。付き合っている間に車で食事をしたり映画を観たり泣いたり笑ったり喧嘩したりと色々な思い出が詰まった車でしたが、その車にある日傷がつけられていました。よりによって車好きの主人の車にです。しかもその傷は酷いもので、傘の先のような尖ったもので、ボンネットの端から端までと、両サイドのドアミラーから後ろまで、ぐるぐると円を描くように傷がつけられていたのでした。まるで小さな子が落書きノートにお遊びで落書きするかのようでした。それを見た途端、主人は怒り狂いすぐに警察に連絡しました。私は怒りというよりかは虚しくなりました。この犯人はどんな思いでこんなことをしたのかと。警察は、現場を逮捕するか証拠がないと逮捕できないとのことで、あとは自己防衛しかないというのです。四六時中見張っているわけにも行かないので、防犯カメラを設置して携帯電話から車の回りの様子を見られるようにしました。このカメラのお陰で半年経ちましたが再犯はされていませんが、カメラを気にしている自分が嫌でたまりません。早く穏やかに暮らしたいです。

私が初めて所有した車

私が初めて所有した車は、日産のレガシーのブルーでした。
兄からお下がりでもらったのですが、高校3年の終わり頃から車を所有するという贅沢感と、ちょっと可愛らしい車に乗っているという優越感で
その後の維持費のことなど何も考えずに4年間くらい乗り回していました。
けれどやはり高校生で車をもつというのは、今思えば贅沢だったのだなと思います。
なぜかというと当時からずっとアルバイトをしておりそんなに贅沢品を買ったりした覚えもなければ実家暮らしだったにも関わらず
いつも貯金がたまらずにお金がカツカツな印象が拭えない生活を送っていたからです。
けれど、不思議なものでその時は車にお金がかかっていることにあまり気づいていませんでした。
ざっと見積もっただけでも、保険に車検に日々のガソリン代・駐車場などを併せると平均でも毎月3?4万はかかってきます。
車を維持するのって本当に、大変ですよね。
特にフィガロは小さい4人のりなのになぜか軽自動車ではなく普通車なのでなおさら出費が痛かった様です。
そんなお世話になったフィガロにはたくさんの思い出がありますが、
良い思い出よりも痛い思い出の方が記憶に鮮明に残っています。
例えば、事故を起こしてしまったことや違反の取り締まりで捕まってしまったこと、それに周りの人たちにアッシー代わりにいい様に使われていたこと。
それでも大きなトラブルを起こすことなく、私と一緒に様々な旅をしてくれた大切な思い出です。
譲り受けた時にはすでに中古だったのですが、4年乗ったのちに買い取ってもらった時にもそれなりの値段で売れたので
やはり小さい車とは行ってもそれなりに値打ちがあったのでしょう。
フィガロ、ありがとう。

自分の車が事故に遭ったらと考え直した教習所時代

父が自動車関係の仕事に就いていたので、我が家は自転車のように一人一台自家用車を所有していました。祖父と祖母はそれぞれ軽自動車を、両親はセダンとミニバンを、兄はスキーをするので大きいほうがよいとバンをと5台でした。私も自分の車が欲しいとずっと思っていたので、高校生最後の春休みに短期集中で免許を取得しようと思い、教習所へ通いました。春休みということで、小・中学生時代の友達とバッタリ再会するなど、楽しい教習所通いだったのですが、私は運転に不向きなのかと思う位、なかなか合格できずにいました。友達らはドンドン第3段階をクリアして、教習所外へ回るという第4段階へ行き、免許センターにて本試験を受けて免許を取得していました。私はとっさの判断が鈍いらしく、運転中にどうしようと思っていると、隣の座席に座っている教官から、教習所用の車の教官が踏むブレーキを掛けられてしまいます。ようするに、このままでは免許を取得するには難しいという判断で、教官からの合格印がもらえない訳です。困った私は考え直しました。今は教習所の車だから深く考えずに運転をしていましたが、これが自分の車が事故に遭ったらと思うようにしました。すると、危機感を感じる動けるねに変わり、教官からも誉められてやっと合格することが出来ました。本試験でも一発合格ができ、やっはと免許を取得できました。父が私専用の車をと、カーディーラーにてコンパクトカーを購入してくれました。この新車を絶対に傷つけたくないと思い慎重に運転を続けて5年が経ちましたが、ゴールド免許更新となりました。常に新車を運転する気持ちを心掛けています。